カテゴリー別アーカイブ: 大平丸ブログ

2018.1.28 整備期間

今年は一月から整備期間に入りました。
一月と二月は出漁せず、船の整備と網の補修をやります。
今の時期は私達にとってたいして魅力のある魚はおらず、また時化の日も多いので、今のうちに悪いところを徹底的に直してしまおう、という具合です。
船の整備と網の補修はそれぞれ専属の組に分かれて仕事をします。
朝の7時から始まって適当に休憩や食事をはさみ、だいたい15時半から16時くらいまでやります。

私は網組で、これは私が網仕事に使う道具です。

網針、包丁、縫い針、サシ、スパイキーという物です。

メインの網の小さな穴をふさいだり網と網をつなぎ合わせたりするだけなら、この中のオレンジ色の針と小さな包丁だけ持っていれば事足ります。
しかし一口に「網」といっても、様々な太さの綱やサイズの違う網で構成されており、全体を補修するにはそれぞれの部分に対応した道具が必要になります。
綱を補修するにはビニールテープやスパイキーは必須です。
いずれ写真付きで説明しようと思います。

それにしてもいつも思うんですが、網と綱って漢字、紛らわしいですよね。
皆様、ちゃんと あみ と つな を読み分けていただけました?
漢字を作った人、もうちょっとなんとかならんかったのか。

2017.12.18 寒さ耐性

一昨日の話です。
今の時期、コノシロは昼間の暖かい時間帯に獲れやすいので、昼の11時に出港しました。
しかし前回獲れた場所を含めあちこち回ったのですが、魚群に遭遇することはなく、魚は何も獲れないまま夜の10時には帰港しました。
気温は昼間の最高気温でも9度と低く、寒いし魚は獲れないし、悲しい一日でした。

毎年こういう寒い時期になると思うのが、日本海側や北国の漁師はここよりはるかに寒い環境で働いているのに、私は東京湾程度の寒さで愚痴をこぼすのは、気合が足りないからではないのか?ということです。
冬なんだからみんな寒いのは当たり前だし、北国の漁師はもっと寒い中で働いてるんだから、ブツブツ文句言うんじゃねえ!と言われたら、反論のしようがありません。
みんなは耐えて働いているのに、自分だけは寒い寒いと愚痴をこぼしまくるなんて、ただの甘ったれ野郎です。
しかし最近気づいたのが、寒さに対する感覚は人によってかなり違うのではないかということ。
この写真は一年前の12月5日に撮ったものです。

 

小さすぎて分かりづらいかもしれませんが、真ん中あたりに裸の男がいます。

この時は網に大量の魚が入って揚げるのに苦労したため、暑くなって脱いだそうです。
いくら日中とはいえ12月の海上です。裸になるほど体が熱くなるとは、もはや、私とは体そのものが違うとしか思えません。

東京湾よりはるかに寒い場所で働いている方々は、気合うんぬんよりもまず、普通(というか私)より寒さに強い体なんではないか、と思うに至った次第です。
勿論、寒さに強い体を持った人は冬の海で楽して働いている、なんてことは微塵も思っていません。冷たい波しぶきや雪が舞い散る海上で漁をしている映像を見ると、畏敬の念を抱きます。

ただまあ、北国の人と比較して自分を根性なしと卑下するのは止めようと思っただけです。
寒いもんは寒い。

2017.11.30 コノシロ漁

現在、コノシロ漁をやっております。
海の様子は前回書いた時からたいして変わっておらず、近場でタチウオやサワラが獲れはするのですが、それらはいかんせん量が少なすぎて商売になりません。
コノシロは単価は非常に安いですが今くらいの時期にはまとまって獲れるので、その安さを補う量を確保することでなんとか商売になります。具体的な数量は書けませんが一回の出漁で数十トン獲ります。
これがなかなかキツイ仕事です。
夏場のスズキ漁の場合、一回の網に入る魚の量はせいぜい数百キロ程度で、網数を一日に十数回張ることで量を獲ります。
それに比べてコノシロ漁は一回網を張るだけですが、その一回の網の中に数十トン入ってしまいます。

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直径150メートルくらいの円形に張った網を写真のようになるまで小さく絞り込み、魚をタモですくえる状態にするのが網船の役目です。ある程度機械は使うものの最終的には人力なので、網をつかんで船に引っ張りあげる作業で前腕はパンパンになります。
そして大量の魚を運ぶ運搬船ですが、魚の重みで操船が普段よりずっと難しくなります。急な増減速や転舵をすると、積んでいる魚が遠心力や慣性で移動し重心のバランスが崩れ、ヘタをすると船が転覆する恐れがあります。そのうえ東京湾は大型のタンカーや客船、その他にも大小様々な貨物船などの交通が多く、大きな引き波が前後左右から不意に襲ってくるので、帰港するまで気を抜く暇がありません。
遠い漁場からだと魚を積んでから港に着くまで3時間くらいかかるし、日が沈んで辺りが真っ暗な中で航行する時もあります。
運搬船もほんとうに大変です。

このようなコノシロ漁を何回か続けた結果、11月としては例年を大きく上回る漁獲高になり、親方は慰労の飲み会を開いてくれました。
さて、明日からもう12月です。例年だと12月は稼ぎになる魚は殆どおらず、消化試合のような月です。
でも今年は色々と例年と違います。
コノシロはまだ獲れるか、また需要は続くか(需要がなくなれば単価は暴落し、獲る意味がなくなる)、それとも他の魚が獲れるか(その可能性はほとんどない)、もしくは獲れずに今年の漁は月の半ばくらいで終了になるか。どうなることやら。

2017.11.12 今年の海2

八月の記事に、海の様子が過去にイワシが大漁だった時と似ているから、秋口にイワシがきてくれると嬉しい、と書きました。
しかし現時点でイワシの群れは来ていません。
そして私の経験では、今この時点でイワシの回遊してくる気配がなければ、今年はもう来ないのだと諦めるしかありません。
イワシに限らずサバやアジなど、「稼ぎになる魚」が11月以降に大漁で活気が出た経験は私にはないからです。

しかしここ数年、そういった自分の経験があてにならないと思わされることがちょくちょくあります。
特に今年はかなり驚くべき事が起こりました。
太刀魚やサワラ、イナダが船橋周辺で獲れるのです。
船橋港は東京湾の北端、一番奥にあります。
船が離岸してから15分ほど、港内から出てまだ陸地がすぐそこに見える場所で、1メートル級のサワラや太刀魚が獲れるのです。量こそ少ないものの網を張る度に獲れるので、小さいながらも群れで湾奥まで来ていることは疑いようがありません。

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写真は幕張の88センチ、6.5キロのブリです。
これらの魚は例年であれば、港を出てから南下すること一時間以上、それなりの広さと水深のある場所でやっと姿を現すのが普通です。
それが今年は出港してすぐ、船橋~幕張あたりの水深の浅い場所で網に入るのです。
まあたいした量ではないので儲けにはなりませんが、単価の高い魚なので獲れてくれるのはありがたいです。
しかし私としては嬉しさより、こんな場所にいるはずのない魚が獲れるいぶかしさが上回り、なんとなく落ち着きません。
でも私の16年間の経験内でたまたまなかっただけで、もしかしたら過去には普通に獲れていたのかもしれないと思い、船橋漁師歴60年以上の社長に聞いてみました。
結果、社長曰く、
「ジャミサバ(サバの幼魚)やイナダ(ブリの幼魚)は獲れることはあるが、サワラや太刀魚の成魚がこんなところまで来るのは初めてだよ」とのことで、社長も大いに驚いていました。
もっとも今回の私の驚きはあまり一般の方には伝わらないことかもしれません。要するに、今までと違う場所で魚が獲れたというだけの話ですから。

でもまあ、お決まりだけど言わせてください。
やっぱり海はわからねえなぁ。

2017.10.25 高潮

先週、台風21号が上陸しました。
超大型で非常に勢力が強いとニュースでしきりに注意喚起していたので警戒してましたが、船橋上空を通過したときは、風力は前回上陸した18号に比べていささか弱いように感じました。
ただ雨の方は上陸前からずっと降り続いたうえ、台風の予想通過時刻が満潮とほぼ同時刻だったので高潮が心配でした。
ただでさえ潮位が最大なのに、大雨で河川から大量に水が流入してくるうえ、強風による吹き寄せ効果や低気圧による吸い上げ効果など、海面上昇の要素がいくつも重なるのです。
私達は船を係留するときに、岸壁から少々距離を離した状態にします。船から岸壁に取ってある綱(モヤイづな)は少したるませておくことで、朝夕の潮位変動にも対応できます。

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通常はこのやり方で問題は全くないのですが、予想を超える大きさの潮位変動には対応できません。
綱のたるみが許す以上に潮位が変動すれば、綱に引っ張られるようにして船が傾き、最終的には転覆してしまうのです。

満潮の時刻に港に様子を見に行ったところ水位は岸壁を超えていました。
この岸壁の上、15センチ位まで水があがっていました。
15センチ程度といえばたいしたことなさそうに思われるかもしれませんが、そうでもありません。港内とはいえ、普段、水が来るはずがない場所が浸水するのですから。
漁港だから鮮魚をいれる発泡スチロールが大量にあります。発泡スチロールの箱は浮力が大きく、岸壁の上に出しっぱなしにしていたら間違いなく全て沖にもっていかれます。

しかしまあ今回、ここら一帯でなんらかの被害があったとは私は聞いていません。
台風に備えてちゃんと対策をしたからです。
こういうときにいつも感じるのが天気予報のありがたみです。
予報がなければ対策なんてしようがない。
気象庁ってのはほんとにありがたいところです。

2017.10.16 鮎

唐突ですがお魚クイズです。
この魚はなんでしょうか。

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答えはあゆ。
天然物は減少しているようですが、養殖ものは幅広く流通しているので、スーパーなどで見かける機会も多いと思います。

鮎といえば友釣りが有名です。鮎の習性を利用した釣りで初夏に解禁され、季節の風物詩としてニュースなどで取り上げられたりもしますね。
胸まである合羽ズボンを着た釣り人が川に入り、長い竿を巧みに操って鮎を釣り上げるシーンを、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

鮎は淡水魚。川魚。
一昨日まで私はそう思っていました。
しかしその観念は覆されました。それも己の手によって!
どういうことかというと鮎が私達の網に入ったのです。
正確に言うと網の中で直接見たわけではありません。
水揚げした時に私達のダンベから鮎が出てきたようなのです。
ダンベとは人が2~3人、入れるほどの大きさの箱で、活かす必要のない魚を氷締めにして運ぶためのものです。
その中の一つから写真の鮎が出てきたと、選別をした卸会社の人から教えてもらったのです。
この日、私達が働いていたのはもちろん海であり、しかも河口からは離れた場所でした。汽水魚ならともかく、淡水魚は居るはずがない場所です。

なんで鮎が海に?

もしかして、以前記事にしたサクラマス(ヤマメ)のように、鮎にも降海型の奴がいるのだろうか?と思い調べてみたら、鮎は稚魚のうちは河口で過ごすと判りました。
ただ河口で過ごすのは稚魚時代だけで、少し成長して7センチ位になると川を上るとのことで、海にでてゆくとの記述は私が調べた限りではありませんでした。
しかるに今回の写真の個体ですが、どうみても成魚です。
持っている人の手と比較して、20センチはあります。
(この写真を撮ったのは私なのですが、この時点では写真を撮ったことで満足して終わってしまいました。いま思うと、この魚をもらい受けて体長や重さをはかっておけばよかったです。)

私にとっては、海で鮎が獲れたなど信じがたい出来事です。例えるならば、奥多摩の秘境でマグロを釣った!というほどのレベルです。
しかしまあ、普通の人にとっては
「え、鮎って川の魚でしょ。へえ~、海でも獲れるんだぁ」
で終わるでしょうな。

2017.9.28 ギンカガミ

面白い魚が網に入りました。
「ギンカガミ」という名の変わった体型の魚で、東京湾ではめったに見かけることはありません。
まず横から写した写真です。

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普通の魚と比べるとお腹が下方向に大きく膨らんでおり、全体的に丸い。かなりのメタボ体型に見えることでしょう。
しかし、こいつを上から見ると、、、

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このようにペッタンコなのです。
写真ではまあまあ厚みがあるように見えますが、実物を手にするとその薄っぺらさに驚きます。
横から見た時の大きさから全体の大きさを脳が予測しますが、それが裏切られたせいでいっそう細く感じるのかもしれません。
なんというか、画用紙に魚の絵を書いて切り抜いたら、それがそのまま命をもって泳ぎだしたような感じです。
とにかくペラペラ。

こいつはなんでこんな体型なのか、考えてみました。

こんな薄焼きせんべいみたいな体型じゃ、筋肉量が少なすぎて素早い遊泳力など期待しようもない。捕食者に見つかったらアウト。となるとこれは、捕食者から見えづらくするのが目的ではなかろうか。
前後左右上下360度からいつなんどき襲い掛かってくるかわからない敵を、目で見て警戒するには限度がある。睡眠時はそれこそ無防備になるし。
ならば被発見率を低くすればいい。
ギンカガミのこの体型は、体の体積の割りには上下・前後からは棒のようにしか見えない。そのうえ背中は黒っぽく、お腹は銀色と、魚類における迷彩のセオリーもしっかり心得ているから、真横からの敵以外にはかなり見つかりにくいと思われる。

まあなんとも月並みな結論ですが、私に思いつくのはこの程度です。
私がこの魚を見たのは6年前に一匹、そして今月に二匹だけです。
ネットで調べてみても、日本ではそんなに多く獲れる魚ではないようでたいした情報はありませんでした。
味はおいしいらしいです。が、もし生きたギンカガミを手に入れたら、私は食べるより水槽で眺めていたい。
ほんとに漫画チックで面白い形の魚です。

2017.8.29 シンコ

今月の初めは例年よりシンコが多く獲れました。
今回はシンコについて少々思うところを書きたいと思います。
シンコって何?と聞かれれば「コノシロの幼魚だよ」と答えるのが正解ですが、考えてみると「コノシロ」ってそんなに一般に馴染みがあるとは思えません。スーパーで「コノシロ」として一匹で売っているのを私は見たことがない。たまに切り身で酢締めにしたものがコハダとして売られているのを見かけますが、たいていの場合使われているのはコノシロです。体の模様の大きさから判断できます。
やはり世間一般ではコノシロより、コハダと言ったほうが通用しやすいのでしょう。

シンコ → コハダ → ナカズミ → コノシロ と、大きさによって名前が変化していく出世魚。
この魚に関して身近で一番耳にするのは「コハダの握り」ではないでしょうか。次点でおせち料理に入っている「コハダ粟漬け(あわづけ)」。あとは期間限定の「シンコの握り」
ナカズミやコノシロという名はあまり日常では耳にしないかと思います。
シンコはその需要の背景から異常ともいえる高値で取引され、獲れたタイミング次第で一キロあたり数万円になります。
八月初めに獲れたシンコです。

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6グラム。一円玉を6枚用意してもらえれば、大きさ、重さが実感できると思います。

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例えばキロ一万円で取引された場合、この一匹が60円。これは私達が港で水揚げした時の値段ですから、これが市場で売られる時には数倍になります。
まあ軽く見積もって3倍になるとしておきましょう。
一匹180円です。
このシンコの仕入れ先ですが、寿司屋以外にありません。そして使い道は「シンコの握り」のみ。
寿司ネタとして使う為には一匹分では小さすぎて足りないので、一貫に数匹使います。3匹使えば「さんまいづけ」4匹使えば「よんまいづけ」と言い、魚の原価だけで500円以上になります。
原価だけで相当な値段なうえに、こんな小さい魚を大量に捌いて調理する職人の手間・暇を考えると、完成品の寿司となればとんでもない高値になるのではないかと思われますが、そうでもないみたいです。
なんでも「シンコは心意気で握る」という風潮があるようです。
江戸前寿司の職人が作るシンコの握りは、己の技術や経験を集約し、自分の腕前を形として表現したものであり、採算は度外視で原料代のみで握るのが粋である、ということらしいです。

伝聞系なのは私はシンコの握りを食べたことがないので、味も値段も知らないからです。
周りの仲間に聞いたところ、3人がシンコの握りを食べたことがあるというので感想を聞きました。
寿司屋の人には不愉快でしょうが、まあ総じて「うまいけど、飛び跳ねて喜ぶほどうまいものではない」という意見でした。
三人とも違う店ですが、このうち一人が食べたのは四枚づけとのことだし、もう一人は値段を覚えていて一貫1500円だったというし、いずれもれっきとしたシンコの握りだったと思われます。
なんとも値段に比して期待外れな感想ですが、まあ、そんなもんでしょうな。
そもそも一番有名どころのコハダにしてからが、さっぱりとした味です。その幼魚であるシンコに至ってはさらに淡白であっさりとした味ということになるでしょう。

ひと昔前まではシンコといえば八月の初めから出回り、三枚から四枚づけ程のものだったようです。
しかし初物は破格の値がつくため、皆が競ってより早く、より小さなもの狙い、流通の発達でそれが素早く全国に届くようになった結果、現在ではシンコは六月から出始め、十二枚づけというものまであります。
さすがに十数枚づけまでいくともはや、そのさばく過程は調理というより細工ですね。手先が器用選手権みたい。
なんだかバカにするような文章になってしまいましたが、そんなつもりは毛頭ない。
ほんとに、小指ほどしかないシンコを大量にさばいて味付けする職人の技と意地には敬意を表します。
しかしまあこの魚、成長に伴い名前が変わるから出世魚なんて言われてますが、コノシロになるとキロ数十円、安い時などキロ数円になってしまいます。シンコの10000分の1です。
大きくなるにつれ価値が激減するのだから、実際は降格魚ですよね。
他にも昔から「コノシロを焼くのは『この城を焼く』に通じて縁起が悪い」と言われたり、鮮度が落ちるとお腹が破けるから切腹魚と言われたり、焼くと人を焼くのと同じ匂いがするとか言われたり。なぜか武士階級の方々にはかなり忌み嫌われていたようです。

コノシロは身の中に小骨が多く入り込んでいて、他の魚と同じやりかたで刺身や焼き物にすると、食べた時に口の中で小骨が当たります。
こういう小骨を許せない人が多数派でしょうが、一方であまり気にしないという派が一定数存在するのも事実。
朝市で魚を対面販売すると、「小骨?そんなの全然きにしないよ!」という人の声がけっこう聞こえてくるので為になります。
私もこの前コノシロを塩焼きで食べましたが、おいしかったです。

神童ともてはやされた子供が大人になるにつれ競争社会の中で埋もれて消えてゆく、ハリウッドで大成功した子役でたまにあるような、そんなうすら寂しいコノシロの人生。
私は声を大にして言いたい!
コノシロにもっと光を!!
シンコとコハダは光物だしね!

2017.8.19 今年の海

八月、ただいまスズキの旬 真っ盛りです。
今のところのスズキの漁獲ですが、獲れたり獲れなかったりで例年とさほど変わらない感じです。
相場が良い今の時期にたくさん獲って稼ぎたいですが、なかなかうまくいきません。

スズキに関しては例年とさして変わりはないものの、今年は混じりにちょっとした変化があります。
ワカシ(ブリの幼魚)やソウメ(マイワシの小さいサイズ)、シンコ(コノシロの幼魚)、そしてカマスが多く網に入るのです。
こういった魚たちがこの時期に多く網に入るのは数年ぶりです。
そしてこれは私には良い兆候に思えます。
10年前の10月、マイワシの大群が湾内に回遊してきていい稼ぎになったことがありますが、その年の海と似たような状況なのです。
今年の秋、イワシがきてくれるのを期待せずにはいられません。

2017.7.24 続・シマガツオ

前回の続きでシマガツオの話です。
今回はだいぶ長いのでご了承ください。

この魚の標準和名はシマガツオですが、なぜかエチオピアという通称があり、その名のインパクトから人々には「エチオピア」で認識されていることが多いようです。
なぜそんなあだ名がついているのか?
エチオピアで大量に漁獲される魚なのかと思って地図を見たら、エチオピアには海がありませんでした。

そこで本やホームページで由来を調べたところ、
「1935~37年にエチオピアから皇族を含む使節団が来日した時、相模湾でこの魚が大漁だった。当時、日本とエチオピアは友好関係を深めようととしていた時期でもあり、そこからこの魚がエチオピアと呼ばれるようになった」との説が有力なようです。

なんとも、安易で短絡的で大雑把なストーリーです。
今から80年ほど前、「シマガツオが大漁だ!ちょうどエチオピアから国賓が来てるぞ!よし、この魚をエチオピアと呼ぼう!!」といってこの名が広まったというわけです。

意味がわかりません。
しかし、現実にシマガツオはエチオピアと呼ばれ、近縁には「チカメエチオピア」や「ツルギエチオピア」など、標準和名の中に組み込まれている魚さえいる程、このエチオピアという呼称は漁師、魚屋、学者、などの魚関係の世界に浸透しています。
とにかく何か、魚(シマガツオ)と国(エチオピア)を結びつける事態で、それも大衆一般に違和感なく受け入れられる事実があったに違いありません。
気になるので調べているうちに、面白いものを見つけました。

高知県の和菓子屋が「エチオピア饅頭」なるものを販売しており、これはちょっとした名物であったらしいのです。
この饅頭は第二次世界大戦の前からあり、しかも1996年には在日エチオピア大使館公認のお菓子となっています。
この饅頭は製法や材料は和菓子のそれで、エチオピアの風土には全く関係ない純然たる和菓子でありながら、名前にエチオピアと冠しているのです。
なぜ?と名の由来を見ると
「1935年にイタリアがエチオピアに侵攻した。
強力な軍備を備えたイタリア軍に対し、エチオピア軍の装備は貧弱なものであったが、兵士は勇敢に戦った。
このニュースを知った和菓子屋の店主が、応援の意を込めて、それまで別名で売っていた饅頭をエチオピア饅頭と改名して売り出した」
ということでした。
この和菓子屋さんは2013年に閉店してしまいましたが、それまでエチオピア饅頭は看板商品であり、1935年から80年近くも愛されてきたわけです。
饅頭とエチオピア。なんの関係もないけれど、その名は普通に受け入れられることがこれでわかりました。
シマガツオがエチオピアと呼ばれるようになったのも、この饅頭と同じような流れなのだと思います。
そもそもこのシマガツオ、現代においても漁獲は少なく、したがってあまり流通することはなく知名度はかなり低い魚です。
しかし1930年代に、なんらかの理由によって群れが沿岸域にまで寄ってきて大漁ということがあったのでしょう。

1930年代の相模湾においてこんな会話があったのかもしれません。
漁師A「見たこともねえ魚が大漁だ!なんかの前触れか!?」
漁師B「う~ん、そういえば新聞で見たがエチオピアから皇族がいらしてるらしいぞ!」
漁師A「そうか、この魚たちは皇族の方々をお慕い申し上げて、エチオピアからついてきたにちげぇねえ!」

消費者「この魚は何?」
漁師「名前は知らねえが、エチオピアから来たに違いねえ。」
消費者「エチオピアから!?」
漁師「おうよ!エチオピア!!」
そんな問答が幾度も繰り返され、学者以外にはエチオピアという名が定着したのではなかろうか。
大漁の魚を皇族に結びつけるなど現在では一笑に付されて終わるでしょう。が、1930年代といえば第二次世界大戦がはじまるちょっと前くらい。かなりの科学力はありますが、一地方に目を向ければまだまだ牧歌的な世界が広がっており、このような迷信じみた話も受け入れることに抵抗はなかった時代だと思います。
以上、私なりにシマガツオがエチオピアと呼ばれるようになったわけを考察してみました。

実は本に書いてあるシマガツオの大漁時期と使節団の来日には数年のズレがあり、上に書いた会話は時系列がおかしくなります。
しかしまあ細かいことは抜きにして、実際にもこんな感じだったんではないでしょうか。
そういえばこの魚、ちゃんと食べました。なかなかおもしろい味でしたが、その話はまたいずれ。